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2009-05-26

写実と「シュール」

09:46 | 写実と「シュール」 - eigokunの手記 を含むブックマーク はてなブックマーク - 写実と「シュール」 - eigokunの手記

大友克洋は初期の作品から、他の作家とは描き方が違う。デッサンが出来てるのは当たり前のこととして、それによって独特のテンポが生まれている。なので他の作家とは漫画の文法が違う。それによって、独特の「間」が生まれる。お笑いでいう「シュール」のようになる。これは、70年代作品の短編集に顕著に表れている。

これは完璧なデッサンが生むものであり、普通は真似できない。完璧なデッサンだからこそ「シュール」が成立するのです。

ところで最近読んだブログで「おぎやはぎの漫才は自然主義だ」というのを見て、とてもなるほどと思ったんだけど、つまりあれは、実際に人間が生活の中で行う行動のような面白さがある、ということなんだけど、それによって僕は「シュール」になると思っている。

ここでいうシュールは、シュルレアリスムという意味ではなく、「ちょっと不思議な」という程度の意味で。お笑いでいうシュールって、別にシュルレアリスムの文脈で使ってないでしょ。なので、そういう固有名詞化したという意味で「シュール」と、かぎ括弧を付けて僕は勝手に使うことにします。

似たように「シュール」な人は、初期のふかわりょうが居る。あれは、あるあるネタにより「シュール」を生み出している。あるあるネタは、言うまでもなく日常の生活の中からネタを得るものであり、これも、おぎやはぎと一応共通した部分がある。

このような、お笑いによる写実、大友克洋の漫画による写実、両方が「シュール」の感覚を作り出している。個人的に、この「シュール」の気持ちよさって、人間が生理的に心地よく思うポイントをずらしてることによる不快さによる気持ちよさなんだと思う。この感覚、音楽に絡めてみたら面白いと思ったんだけど、僕は音楽に詳しくないので無理です。とにかく、この辺、もうちょっと探ってみたいですね。

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